腕に傷がないと自分の腕じゃないみたい。 – 22歳 女性
私は中学2年生の頃からリストカットを始めました。
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両親への無言のSOSと憤りがリストカットのきっかけに
リストカットの原因はいじめ…と言いたいところですが、いじめには耐えられました。いじめられていた時の両親に対して気づいてもらいたい、心配してもらいたいという気持ちと、逆に心配かけられない、元気でいなければという両方が自分の中で戦っていて、リストカットで快感を覚えるようになりました。
過保護の両親…なのにいじめられていることには気づいてくれない。
両親の自己満足の過保護。縛られている辛さ、いじめの辛さ、毎日毎日死にたい…しにたい…そればかり考えていました。
私のいじめは中学卒業まで続きました。リストカットはましていく。両親の自己満足の過保護もましていく。なのに、いじめにもリストカットにも気づいてくれない。悲しみと怒りを覚えました。
自傷行為をしていることが生きていることを実感させてくれた
高校生になってからはすぐにアルバイトを始めて自分の稼いだお金で好きに遊んだりようやく、自分の居場所を見つけることができました。
ですが、いらない情報も得ることがふえて、リストカットはエスカレートし、手首、腕、肩、脚…と傷の深さもどんどん深くなっていました。自傷行為はリストカットだけではなく、過食嘔吐、オーバードーズ、どんどん増えていき、やめなければいけないと言う気持ちもありつつ、自傷行為を、していることで私は生きれているとも思っていました。しにたい、しにたいしにたい、そればかり考えている毎日。
唯一、楽しいと思えるのはバイトをしている時間。というより、お金を稼いでいる時間でした。
そのためアルバイトは3つ掛け持ちして、休みの日がないようにシフトを、組んでいました。
高校を卒業してDV男にハマってしまい
高校を卒業してすぐ彼氏と同棲しました。
しかし、彼氏はDV男。両親から愛してもらえなかった私はそんな暴力男にはまってしまいました。殴られても誰よりも私のことを、思ってくれているんだ…と勘違いをしていました。
そんな彼のために綺麗でいなきゃ。痩せなきゃ。という思いから1日に口にするものはほんのわずか。付き合いで食べないといけない時はすぐにトイレに行き吐き出す。そんな毎日を繰り返していたある時、彼には私以外にも女がいると知り…また死にたい、しにたいの毎日。
お風呂場で血を流し倒れている時もありました。私の腕や脚は醜い汚いものとなっていました。
今は子供のためにも
その後、彼は浮気相手のところへ行ってしまいましたが、それで私は目が覚めました。
1人でも生きていかなきゃ。人間なんて誰も信用できないと…そこからリストカットの回数、過食嘔吐の回数は減っていきました。
今現在は私は22歳。2ヶ月の子供がいます。今は子供のためにも綺麗なままでいたいと思っています。もぉ、自分を傷つけることはないとおもいます。